北川プロ 編集日記

北川プロの女王様、スタッフによる撮影、編集の秘話、裏話をご紹介致します。

今年も咲いた すみれ

2026すみれ
2026桜アップ
2026チューリップ
2026桜2
2026桜3
2026桜
2026桜4

毎年道路端の電柱の横でアスファルトから芽を出して咲く”ど根性スミレ”
今年は例年にないくらいの花芽をつけ見事に咲きました!
昨日は満開の桜を見に近くの川沿いの桜を見てきました。
今日は春の嵐で桜も散ってしまったかと、、、、、、、
相変わらず、ブログネタなしですし桜の投稿写真も多いと思いますが、私は私でと、、、、、、
ただ、すみれは毎年咲き道路沿いの隅間に少しずつ”ど根性すみれ”が増えてます。
チューリップの原種も可憐な花を咲かせ春の訪れを告げてます。
春から新緑の5月は最も好きな季節です。季節を愛でることのできる小さな幸せを感じながら平々凡々の日々です。体は相変わらず痛みと向き合ってますけど北川繚子は元気です!

久々の外出

アソシアh2
アソシアh4
アソシアH1
アソシアh5
アソシアh7
26年枝垂れ桜
誓願寺

久々に名古屋に出て、ジーナ女王とネコ、そしてあや様と会うことに、、、、、ずっと篭りっぱなしで2・3日前に近くの枝垂れ桜を見に行く程度でしたが、街中は数年ぶりかな?
ホテルのラウンジでのティタイム。写真のように宝石箱のようなお菓子を相手に私とネコは悪戦苦闘!でもお喋りするにはいい空間で3時間くらいは粘ってました。ジーナさんとネコとは1年半ぶり、あや様には4・5年?会ってませんでしたのでお話しすることがありすぎて時間が足りませんでした。私たちの場合、話の内容が内容なので限られた空間がいいのですけどね〜ついつい興奮して声高になってしまいました(歳のせいもあるけど)
大昔、M奴と一緒に大阪から新幹線で帰ってきた時、車内でM奴から飛び出す言葉に四苦八苦。『アナル・鞭・女王様・奴隷』と、、、、また声がでかくハキハキとしてて、周りを見ては冷や汗!
それが今の私にも?でも女王様の名前とネコ!っていうくらいですが偉そうに振る舞う女性3人とヘコヘコしてる男1人を仲居さんはどのように感じたかは???です。
あっという間の数時間、まだまだ話し足りませんがたまのお出掛けは刺激的でいいもんですね。
体がついてこればの話ですが、、、、、長く歩けない、荷物が持てない、正座できないと多少の不自由はありますけど、リハビリと思い動かすのも良いかと、、、、、。とにかく久々に楽しい時間を過ごしました!(写真、修正がうまくできずごめん!)あっ、久しぶりにスマホでの写真、ネコの震える手が気になりました!ジーナさんの厳しいチエックが入りますが、載せたものは私のスマホ(古いからカメラ機能も悪い)








 

鎮魂 故郷に想いを寄せて

写真福島
写真花見山
誕生日

3月11日は私にとっても忘れられない日です。この日は静かに故郷に想いを馳せて冥福を祈る日でもあります。あの日、事務所で見たTVの映像は今でも脳裏に焼き付いてます。
続々と被害状況が入ってきたのは、翌日からだったかな?
いても立ってもいられず、どのような経路で故郷に辿り着くかを考えてました。私の生まれ育った福島中通りは被害が少なく実家や家族は無事、家の中がめちゃくちゃになっただけで済みましたが、浜通りの津波・原発と被害が報道され不安で押しつぶされそうになりました。特に目には見えない原発の放射線はただただ恐怖でしかなかったです。美味しい米・果物・野菜と自然豊かな故郷が一瞬にして暗雲が覆位い被さりました。当たり前の日々が当たり前でなくなり、ちっちゃな幸せが消えてしまったと、、、、、あれから15年、どのように変わったか?離散したままの家族、故郷を捨てざるおう得ない生活、口では言い表せないくらいの苦悩の日々かと、、、、、それでも息吹く若芽のように、、、そう祈りながら底から這い上がるのを見守るしかないの?
昨年秋に故郷に帰るのも最後かと思いながら変わりゆく福島を見てきました。やっぱり生まれ育った故郷はいいものです。私を除き兄妹は歯抜け状態になったものの福島にいます。父母はもういませんがそれでも福島への思いは募ります。の〜びりくらしたいと思ってた老後はまさに今となるわけですけどね。まだまだ先と思っていたのがあれよあれよと目の前です。みんな平等に年は重なります。老いるということは避けて通れません。どのように生きてどのような生き様を見せてきたか?自分の人生だからこそと思うこの頃。生かされてることに感謝。私は「感謝」という言葉が好きです。
M奴に対して熾烈な言葉を浴びせてますが、でも愛はあります(多分? いや、あるはず)

古き良き時代 撮影思い出話その8

<
鳳来寺山
P責めシャネル&麗奈
長篠2
長篠

撮影とは関係ない思い出話になりますが、写真の一番上は鳳来寺山ハイキングと3・4番目は髪型が違うので別な時かな?長篠城跡とM奴を連れてドライブを兼ねた歴史探訪。
M奴はM奴ですが、北川プロの大ファンで全てのビデオを集めてました。それでもプレイもしたことがなくただ気が合うというか趣味が合うというか、そのM奴が名古屋を訪れるたびにあちこちとかつての歴史の舞台を案内したことがあります。(連れ回す)
鳳来寺山は家康の生誕に纏わるお寺があります。自然豊かで風光明媚な山道を散策した時の写真ですね。そのM奴、好奇心旺盛でどこにも首を突っ込んで無茶を平気(岩場を飛び跳ねたり)でやるようなハラハラ・ドキドキのいい年したM奴。プレイするわけでなく、お酒を汲み交わし歴史と音楽の話をしながら温泉宿に泊まったりといろんな思い出がありました。そうそう、深夜の男風呂で背中を流させてたら、突然、男性客が入ってきて慌てて逃げて行きました。男風呂・女が男に背中を流させていた、、、、それは???の光景だったのかも?変なことしなくてなくてよかった?(顔面騎乗とか踏みつけとか)
宿泊客も少なく、かなりの深夜だからと思っていたのに、、、、大笑い!
若い頃(若い?30過ぎなのに?)でもあり、SMが楽しくて仕方ない頃、SMを離れても主従関係でつながり自分が興味を持つものを共に楽しむことができた。連れ回してたのかも?だけどね〜
M奴にしてみれば、自分の性癖を隠すことなく、憧れの女王様と時間を共有することができる幸せ!と言ってました。そのM奴はクラブでの経験もなく、ただ、ビデオの世界だけで満足してきただけと、、、私の周りにもそんなM奴が数匹いました。とにかくいろんなM奴がいました。でも、みんな私にとって可愛いM奴たちなんです。プレイの出来、・不出来は別で心の繋がりが大切と私は思ってます。現役でなくても主従関係は続いてます。諸事情で足を洗うもよし、性が抜けきれず時折悶々とする気持ちを聞くだけの場合もあり。表の顔と裏の顔(SM人生)二つの世界を楽しむこともまたよし。一度しかない人生だからね〜、自分の人生だからね〜

古き良き時代 撮影思い出話その7

NO.24
NO.24のシーン


一番上の写真はNO.24「恥辱の奴隷宣言」の一コマ。
知人のボートを借り、船舶免許を取得してるスタッフのもと、生まれて初めてボートを運転。
衣浦港から師崎までの往復路に100リットルのガソリンがかかり、それでも船を利用しての撮影とはなんと大掛かりな?.....と言っても、満足するようなプレイも出来ず、ただ海風の心地よさにプレイルームでは味わえない開放感を感じました。あとは陸に上がってからの食事でシャネル女王様たちをもてなし帰ってきました。その下は写真集にも載せた一コマです。
従来の撮影現場はプレイルームとか屋内で撮ることが多く、M奴たちの夢を聞いてみると非日常の世界に憧れを持つとのこと(これは当時のあくまでも個人の意見ではありますが)
例えば、人気のない野山で鞭打たれたいとか木に吊るされたいとか、わりと野外でのプレイ嗜好が多く、当時SMクラブでは野外といえば人気のない夜の公園で全裸になったりするくらいと聞いてます。それでもスリル満点! 昔、ポポでシャネルさんとか女王様たちで客を女装させてアナルにバイブ突っ込んでそのまま、地下鉄の駅まで送って「途中で外すな!」と送り出したことありましたね〜 
若かりし頃はM奴のアナルにバイブを突っ込んではスイッチを入れたり切ったりしながら、車を運転させたりやホテルの静寂なエレベーター内で「ジージー」とバイブの音が鳴り響いたり.....みんな???という顔してました。M奴だけが赤ら顔。そんな時代もありました。

古き良き時代の撮影思い出話その6

NO>16
NO.17
シャネル&北川新年会
NO.31シャネル&ミミ&北川


北川プロと言えば、「シャネル女王」の存在はかかせません。
北川プロ=シャネル女王&北川繚子 です。彼女の初出演作はNO.17「赤いブーツの女王」(上から2番目の写真)
当時は大阪みなみの「ポポ」というSMスナッに所属されてました。
初代奴隷頭の「ペロ」の口利きで北川プロに出演いただいたのですが、当初はビデオ出演できる方がなかなかおられず苦戦してました。
若くて綺麗で超ハードで天性のSというペロの言葉に即決!
お会いしてみて、その雰囲気にただならぬものを感じました。媚びることなく、私は私、やりたいように自由にやる。漂うSのオーラ、冷たく刺さるような視線、、、、、、Mじゃなくても釘付け。凄いなぁ〜と。
プレイは全てお任せ。M奴は応募してきた奴隷とM奴志願してきた正七(よく聞いてみれば店の常連でシャネル女王の大ファンとのこと)
トップレス姿の女王様の御足をマッサージしているM奴と容赦なく鞭で叩きのめされるM奴。それは飴と鞭ですがシャネル女王の気まぐれな奴隷の選択??
鞭打たれて飴など与えられない正七、かたやご褒美みたいなM奴(何か褒美がいただけるようなことした?)この対比。こちらから何一つ注文つけてないけど落とし所が分かっていると。
それからのシャネル女王のプレイには、毎回、ドキドキ、ワクワク、今度は何を見せてくれるのだろうか?と大いに期待したものです。毎回違うし、こちらがあれこれ準備することもなく必要なものは全部自分で揃えて撮影に挑んでくれました。時たまカメラが回ってなくても楽しいいといつまでもM奴をいたぶり続けてました。執拗さはお会いした時から変わらずですね。とことんSMが好きでSMの申し子みたいな方だと思ってました。
シャネル女王には専属奴隷がいまして、それがまた奴隷のお手本となるような忠誠ぶり。打ち上げでの食事でもシャネル様に「よし!」と言われるまで絶対箸をつけない。ひたすらシャネル女王が口からペッと吐き出す(苺のヘタとか口に合わないものなど)と「いただきます」と食べていました。そこまでは羨ましいと思うだろうけどね〜撮影でシャネル上が興味を持たれたプレイに自ずから身を挺してました。例えば焼き串でお尻に大きな❌マークがハッキリつくまで何度も押し当てられたり、千枚通しで鼻開けして鎖のリードで千切れんばかりに引っ張り回されたり、とにかく傷痕が絶えなかったですね。それでも文句一つ言わず、常にシャネル女王の専属としてお仕えしてました。(独身ではありません)その専属も私に恩義があると言って常に協力してくれました。(恩義に感じてると言うのはシャネル女王と喫茶店で待ち合わをしてて5時間以上も待ちぼうけをくらって電話にも出てくれないと私に泣きついてきたので私が電話して取りなしただけなのですけどね)シャネル女王もその専属奴隷を信頼して仕えさせていたんじゃないかと。女王様と奴隷の関係を私はいつも言いますが「信頼」がなければと思ってます。





古き良き時代の撮影思い出話その5

カメラ
カメラ2


今、写真の整理をしてまして気づいたのが、私がプライベートでもまた奴隷との観光でもビデオカメラを持っているのが多いこと。
常にカメラを持って勉強してた? カメラに興味? ズブの素人と同じなのでカメラを回しどのように撮れているかをチエックしてたのは確かです。
現場ではみんなを仕切り動かしてましたが、自分から監督だと思ったこともなければ、その道を勉強したわけでもないから、監督とは呼ばれたくもなければ名乗ることもありませんでした。ただの撮り手で作品作りに没頭してるだけ。好きな自分のSMの世界をどのよう描けるのかと、、、、、なかなか難しいですね。何十年作ってても満足してはいません。欲も出ますが反省点も多いです。奴隷たちと「あ〜でもない!こ〜でもない!」と言いながらですけど、、、、。
撮影現場は、ストーリーものであれば細かなシーンごとに分けての撮影など、ある程度把握できますが、女王様のプレイものを撮る場合、ほとんどが女王様の力量にかかってきます。(その女王様の持ち味を出していただくので)こちらからあれこれ指示するのはせず女王様が何をしたいかはお聞きして準備はしますが、動きは女王様に合わせ即座に判断する難しさ・緊張感はあります。ある程度プレイ内容はお聞きしても、その場でどのような動きになるかまで分かりませんし、カメラが回り始まれば自然に女王様と奴隷のプレイに集中しなければならず、撮りっぱぐれのないように緊張して回してます。しかしカメラが追いつかない時は再度そのプレイをお願いすることもありますが、自分が出演してた時にストップや撮り直しさせられるとテンションが下がるのを知ってましたし、できるだけカメラがちゃんと追うことができるようにと、、、、。
手持ちと安定した置きカメなど別アングルなどで撮るのですが、カメラの数が増えた分、全チエックするので編集作業時が結構大変です。
私はカメラを回す時は編集作業もしてみるとどこを抑え、どのように撮ればいいかが分かりやすいと思ってます。(プレイシーンはちゃんとシーンごと分割されたものでないので、プレイの流れでどのような動きになるかが分かりにくいことも多いのです)ただ、カメラ(手持ち・置きカメ)がどの位置にあるかをある程度気にして欲しいとは言ってます。カメラを塞ぎ、何をやっているかわからない状態が時々あり、その時はストップをかけさせてもらってます。せっかくいいプレイでも映り込まなければ分かりませんし、手持ちで追い切れる時ならいいのですが、全く影になって塞がれるのが困るのです。昔は女王様も奴隷たちもその辺はわかって自然に角度を変えてくれてましたけどね。ストーリーものの役にもなりきってましたね。途中、奴隷たちが掛け合い漫才みたいになって私がノリすぎ!とストップさせたこともありました。今思えば楽しい撮影現場でした。

古き良き時代の撮影思い出話その4

カタログ資料
旧カタログ
写真集
水仙


物置の段ボール箱からようやく1箱取り出したものの古くて資料用に保存してたものが出て来ました。
写真はほぼ処分してしまったようです(多くはフイルムでしたので同じような写真ばかり)
未使用の文具とかファイル、衣装など、片っ端から捨てて、、、、心の中では勿体無い!でも使う予定がなければ処分するしかないと。時々、あれなかったかなぁ?という文具もありますが、、、、、
写真のカタログはすでに手元に新品で残っているものはなく、使い古したような1品ものです。
写真集もかなり昔のもの。カタログもね。ビデオの値段見てびっくり!でも当時は程んとこれらのものがなくて、撮影も大変な時代で利益を上げるというより、次の作品を作るためのようなもの。当時を知るM奴から買いたくても高価なため買えずにいたと、、、、、そうだよね〜でも利益はほとんど撮影費にあててました。あとは機材。大きくて高価で設置するにも大変でしたしカメラなどは7・8kg、撮影現場に機材(三脚・照明・プレイ道具・衣装)を搬入するにも車に乗せるのも大変でした。
奴隷の手伝いは?事務所は都会のようではないため、現地集合でした。また、自分で準備や点検しないと気が済まない性格でしたから(人任せできない)
夜中に車を走らせ朝一番でスタジオ入り(NO.100以降の作品になります)時間まで仮眠。
M奴やスタッフと合流し荷物を下ろし、現場を仕切りカメラを回す。撮影後は機材を点検しながら詰め込み。今思えば相当タフだったと、、、、、、好きなことだからできたんだろうね〜
また、撮影後の打ち上げが一番の楽しみだったかも?女王様やM奴を囲んでSM談義。
この時はM奴からの意見も聞けたね〜。M奴的には作品としてどう思っているのか?言いたいことは言わせてました。S側の立場、M側の立場、作り手の立場、みな思うことはそれぞれ、、、、ただし、エゴM的な意見には女王様も私も腹立ってましたね。また、出演できたM奴と採用されずお手伝いのみで終わったM奴の嫉妬ややっかみは昔からありました。
おお昔、奴隷頭で先頭たって新入りM奴の世話をして、自分のお仕えする女王様のプレイの相手役にしたものの、嫉妬・嫉妬・嫉妬で最後は私に一喝!
応援するのは良いが誹謗中傷はダメだとMモデル会則に入れました。気持ちはわかるけどね〜
でも、打ち上げなどはいつも和やかでした。唯一、女王様の”素”の部分が垣間見れることもあり。
撮影はまず、女王様がプレイしやすいような雰囲気作り、M奴は従うだけ。(プレイ内容は出来不向きもあるので事前に私がM奴と話すけどね)
みんなで作品を作ることに一貫してましたけどね。だからハードなプレイも受けることができたと。
古き良き時代、それはSとMの心のつながりが成り立っていたと思ってます。

古き良き時代の撮影思い出話その3

シャネル吊り
3
古き良き時代北川
古い写真

相変わらず写真を物置から出すこともできずにおりますが、保存されているものを貼り付けますね。
一番上の写真右端h NO.8「恐怖の奴隷狩り」
真ん中の写真は福井山中での撮影合宿、
その下左端はNO.6「調教ビデオ・尻責め奉仕編」右端はNO.13「白豚ビンタ責め」
一番下の真ん中はNO.9「恐怖の奴隷狩り」
当時はフイルムでしたので現像するまでどのような写真か分かりませんでした。ですから同じシーンを何枚も撮って、そのうちの1枚でも使えたら、、、、くらいでしたね。
NO.9の「恐怖の奴隷狩り」はこんなM奴がいるんだと私にはとても思い出深い作品でもあります。愛用の一本鞭を思いっきり振り回し、打ちつけても大丈夫な頑強なM奴だったから。普通、一本鞭を数発打っただけで根あげてしまうM奴がほとんどで、またこの一本鞭はズシンと体の奥に響くような鞭でした。むろん、表皮が剥がれ血が滲むのは当然、内出血でミミズ腫れ。体質にもよりますが、痕がとれるのは1ヶ月ほどはかかり、当時は既婚者が多くて鞭痕をたくさん残せなかったのです。撮影となれば十数発とか50発以下では画になりません。この作品では少なくても300発鞭打って翌日手が上がらなくなったのは覚えてます。M奴の背中も亀の甲羅のようになりました。当時はこのような鞭打ちに特化したM奴はいなくて、このM奴は拷問みたいな鞭打ちや数人で打つことようなことが好きみたいで他のM奴とは違いました。(女王様に奉仕することやソフトプレイにはほとんど興味を示しませんでした)
私としては思いっきり鞭を好きなだけ打ち、呻き声をあげるM奴とのプレイは楽しくて仕方なかったんです(いくらビデオとはいえ気遣いしながらの鞭打ちは楽しくないから。でも、長い一本鞭ですので飛ぶ鞭先には神経を尖らせてましたけど)この撮影、当時はとあるマンションの1室をプレイルームに改装して撮影してました。磔台も知人が大工さんに作らせて運び入れた物でした。音が漏れないような工夫もしましたね。とにかく作品作るのが楽しくて、M奴と非日常の世界をどのように描くかを語り明けしたものです。(当時のM奴はみんな遠距離で長期休みを取って来てました)
ただ、撮影だけでなく女王様の24時間が見れるとの思い?(撮影以外はプレイルームで寝起きして、たまに買い物や外食に付き合わされるくらいで構ってもらえるわけじゃない!クラブのエプロン奴隷でもないし、無償ですし、女王様の喜びが自分の喜びとなるようなM奴しか寄せ付けませんでしたから)
よく、出演したらいくらもらえるのか?と問い合わせが当時もありましたが、うちはプレイの出来不出来よりM奴として女王様にお仕えしたい気持ちが大事と。逆にお金払えばどんなプレイにもOK?と聞き返してました。M男優はいらない!うちは出演可能なM奴隷が欲しい!と言ってました。
今とは違いますし、古き時代の話ですけどね。そんなこともあったなぁ〜と。

古き良き時代の撮影思い出話その2

春川絵
春川から北川プロに
SCN_0012


今日は最強寒波が日本列島を覆っているようで風も強く気温も低いですね〜
関東地方は雪が積もったとTVで流れてました。

さてさて、古き良き時代の撮影の思い出話ですが、NO.3「奴隷交換」私にとって第2作目となります。
NO.1の「男狩り」マダム静香女王様のクラブに所属されてたマリア女王と組むことになりまして、SMクラブも知らない田舎そだちの私にとって興味津々でもあり、またデビュー時のM奴コースケを自分以外の女王様に差し出すことにジェラシーを感じたのも事実でした。コースケがマリア女王を前に尻尾振っているようで内心穏やかでなかったのです。何か自分の所有物を取られた感じがして、、、、またマリア女王の責めに喘ぎ声をあげてるコースケに嫉妬してました。
若くて個性的な面立ちのマリア女王のプレイを食い入るように見てました。打ち合わせもなく、ただこんなシチュエーションでとだけでの二人揃ってのプレイ展開は私にとって貴重な経験となりました。無論、いい刺激になって(対抗心メラメラ!)、お互い、負けるものかと、、、、、
その後には⇩
NO.4「調教ビデオ一般編・幻夢奴隷」ビデオを見てる人が調教を受けてるような感じに(いわゆるヴァーチャル的な撮り方)
NO.5「乱れ宴」初の和服姿 ちょっとしたストーリー展開で始まり、アナル責め中心かと
NO.6「調教ビデオ・尻責め奉仕編」これもビデオ見ている側を意識しての撮影。足フェチ・尻責めなどソフトタッチが多かったですね。
NO.7「調教ビデオ・アナル浣腸編」いろんなものを入れて試したい、、、、、知識はごく僅かでしたね。普通サイズの浣腸器では飽き足らず、医療に使う1000ccの浣腸器具を揃えましたね。M奴コースケの反応が面白くて、、、、と私のSMへの好奇心はどんどんのめり込んで行きました。

当時は編集にモザイク機能などが出来ず、撮影は角度などにかなり気を使いながらの撮影でした。
それにカメラは大型で7・8kgの重さ、三脚も業務用でしっかりしたもの。収録テープも4分の3テープ(U-マチック)60分しか収録できません。なので大きなテープを何本も所持しての撮影でした。とにかく大掛かりでした。

PS.当時の写真、多分(大量処分しましたが)数枚は残してあるはずですが、事務所閉鎖した時に段ボール箱に入れて物置に、、、なのですぐには取り出せません。ごめんなさい!
北川プロ公式サイト
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北川繚子

北川プロダクションの社長です。サークル「スペードの会」をシャネル女王とともにはじめるが、ビデオ制作の方に本腰を入れ始め、スペードの会で知り合ったMはそのままビデオ制作の方へ借り出される。撮影はいつもファミリー的でSもMも色々意見を出し合い、究極のMビデオを目指している。

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